55期 夢叶えプロジェクト

皆様の力を借りながら、利用者・入居者の人生最後の思いのために力を貸していただきたいと思います。

喫茶店でケーキセットが食べたい

Hさんは、昭和十一年五月に生まれる。活発な子供だった。
食べる事や旅行、登山が大好きで、会社の同僚や家族とあそこの何がおいしいと聞けば、行って食べ、あそこに行きたいと思えば、旅に出る事が多かった。沖縄には三回も出掛けたほどだ。
中区の学校で保健室の先生として働き、 十一歳年上の男性と恋に落ち結婚した。今で言う年の差カップルだ。ご主人は、美味しいと思ったものしか食べない偏食家だったが、Hさんや子供達を喜ばせようと、たい焼きを二十個も買ったりして、家族を驚かせる事が好きな楽しいご主人だった。
Hさんは、結婚後も仕事を続け給料日には決まって同僚と喫茶店に行き、ケーキセットを食べ、自分にご褒美をして、子供達にもショートケーキをたくさん買って家路へと急いだ。
子供も成長して社会人になり結婚をし、Hさんには孫が出来て、おばあちゃんになった。
これからは、人生をもっと謳歌しようという矢先、最愛のご主人が亡くなった。 七十八歳だった。

平成二十二年 一月

視力が急激に低下し、総合病院を受診。「末期の子宮体癌で、癌随併症候群視力障害」と診断され、翌月には全盲となる。

平成二十二年 六月

Hさんは、同居していた長女に迷惑を掛けたくないと思いから福祉施設に入所した。

平成二十二年十一月

主治医から家族へ告知があった。「余命半年」。
長女が、「半年の命なら、施設に預けるより、私のそばで最期を迎えてもらいたい」と施設を退所し、仕事は介護休暇をとって再度、同居を始めた。
全盲により自宅での入浴が困難なため、主治医の勧めでデイサービスに通って入浴するようになった。
これが、「デイサービスセンターふじ」との出会いだった。
全盲だがしっかり歩くことも出来、冗談を言いながら会話を楽しまれていた。
気分の良い日はカラオケにも参加され、「歌うのは苦手だけど聞くのは好きなんよ」と言われた。

平成二十三年 一月頃

明るく楽しまれていたデイサービスだったが徐々に、「しんどいから横になる」と言われる事が増え、入浴と食事以外はベット上で過ごされる時間が増えてきた。どの職員の目にも、デイサービスご利用の度に、ゆるやかに体力が落ちてきているのがわかる様になっていた。

平成二十三年 二月初旬

デイサービスセンターふじの介護スタッフが、いつものようにHさんと会話を楽しんでいた。
その話の中で、どうしても気になる話があった。それは、「仕事をしていた時に行っていた喫茶店でケーキセットが食べたい、今は無理だけどねぇ」
介護スタッフはHさんの願いを聞いて、心の中で何度も自問自答し悩んだ。何度もHさんとの会話と余命半年・末期癌という言葉が頭をよぎった。
ふじのケア事業部には、利用者・入居者の人生の中で、あきらめていた望みや夢が実現させて心の満足を追求する『夢叶えプロジェクト』というプロジェクトチームがある、しかもこの介護スタッフは、プロジェクトのメンバーの一人だ。
介護スタッフは、自分がプロジェクトでHさんの夢を叶えてあげることが出来るかもしれないという期待感と、現状の「しんどい」を口にするHさんに、ケーキを食べに行きましょうと言うのは、あまりに失礼ではないかと悩んだ。だが、Hさんには時間が無い。思い切って、プロジェクトメンバーの他のスタッフに相談をした。
プロジェクトメンバーは、Hさんがデイサービスご利用の日に、デイサービスセンターふじを訪ね、ベットに横たわっているHさんと話をした。
スタッフ:「担当スタッフから聞いたんですが、ケーキがお好きなんですってね」
Hさん :「ケーキは大好き、コーヒーも大好き、だからケーキセットがいいね」
スタッフ:「Hさんの夢を叶えようと思っています、ケーキはどこで食べたいですか?」
Hさん :「家ではいつでも食べれるんよ。でもムードのある所でケーキセットを食べたいんよ」
スタッフ:「わかりました、ムードのある喫茶店で食べましょう、楽しみにしておいて下さい」
「ムードのある喫茶店で、ケーキセットが食べたい」
ここから、夢叶えプロジェクトのスタートとともに実施に向けて動き出した。
デイサービスセンターふじの看護師、介護スタッフが、デイサービス職員から色々な情報を集めながら、現在のHさんの状況を確認する。
体中に腹水が溜まり、この一か月で十二キロ体重が増えていて、お腹まわりや足はパンパンに膨らんだ状態で、立つ事はできるが歩くことは数歩程度だった。
座位時間は最長四十分、食事の摂取量も以前は全量だったが、今は半量となっている。Hさんが、ケーキを食べられるうちに実施したい。
しかもHさんは、四日後には定期受診の予定があり、前回の受診で主治医が娘さんに入院を打診されたと聞く。
とにかく時間が無い、夢を叶えてあげる事が出来なかったら、Hさんに申し訳ないし後悔する。看護師、介護スタッフは顔を見合わせた。「もしかして、実施は、明日? あさって?」
介護スタッフは、すでにHさんが行きたい喫茶店のケーキセットを調査しており、Hさんの座位の時間が四十分未満ということを加味し、Hさんの自宅に近い、「バッケンモーツアルト」を行先に選んでおり、駐車場などの確認もしていた。
Hさんの食べたいケーキセットはバッケンモーツアルトの「レアチーズケーキ」とまで調べていた。
同居の娘さんに、Hさんの夢を伝え、「母が、行きたいというなら、是非お願いします」と言われ実施が決まった。
実施の日は、あさって 平成二十三年二月八日 に決まる。

平成二十三年二月八日 曇り

スタッフ3名がデイサービスセンターふじを十三時三十分に出発し、Hさん宅へ向かう。今にも雨が降り出しそうな空を見ながら「Hさんが家に帰るまで、雨が降らなければいいね」と願った。
Hさん宅に入ると、ベットに横になり、お迎えの車を待つHさんの姿があった。
Hさん :「私のような者のために、たくさんの人が来てくれて申し訳ない」と言われた。
スタッフ:「ケーキ、食べに行きましょうか?」
Hさん :「もちろん! 行こう、行こう」
ベットから立ち上がろうとされるが、立ち上がることが出来なかった。
誰もが、今日はいつもより調子の悪い事を見て取った・・・。
今日の喫茶店は、バッケンモーツアルト、車で三分。
車椅子に座られ、バッケンモーツアルトに入店。
「あ・・・・・・」 Hさんの口から、声が出た。「お店に入ったら、コーヒーのいい香りがした、懐かしい」
そして、ケーキセットを注文した。
もちろんHさんは、レアチーズケーキのケーキセットだ。
注文してからHさんの口数が減り、座っているのがつらいのがわかった。ソファーに横になってケーキセットが来るのを待った。
Hさんは、ケーキセットが来ると上体を起こし、手で皿を持ってフォークを使い、待ちに待ったレアチーズケーキを自分で口の中へ入れた。
「これよ、これ」まさに食べたいと思っていたケーキだったようだ。
一気にケーキを食べる姿に、同席した娘さんに安堵の表情が見えた。
「コーヒー、コーヒー」熱いのではないか、と皆が心配したが一口飲んで、
「ハァーッ、待望のコーヒー」と、一息つかれた。
「家のコーヒーがマズイ訳では無いけど、これは美味しい」と言われ、ゴクゴクとコーヒーを飲みほされた。
Hさん表情から、体のしんどさが無くなり、良い顔になってきた。良い表情が出るとおしゃべりが始まった。
ご主人の話、昔の職場の話、食べ物の話で、笑い声も聞く事が出来た。
スタッフ:「ケーキは、どうでしたか?」
Hさん :「美味しかったよ?、本当に、ありがとうね」
座位時間の事も忘れ、話も盛り上がり楽しいひと時を過ごす事が出来た。
Hさんの満足そうな笑顔も見られ、体調の急変もなく無事にご自宅にお送りする事が出来た。
自宅に帰られると、ベッドに直行され、横になられた。
Hさん :「ありがとうね、念願のケーキを食べることが出来たよ」
スタッフ:「ありがとうございました、今日はゆっくり休んでくださいね。また会いましょうね」
スタッフが退室し、娘さんと話をした。
娘さん :「本当は、体がしんどいから本人が、行かないって言い出すんじゃないかと思っていました。逆に、本人が行きたいって言ったのにビックリしました」
スタッフ:「あさって、デイサービスでお待ちしています」
娘さん :「今日は、連れて行ってもらってありがとうございます。明日の受診が心配ですが、入院したら入院したで、もう今のように歩くことは出来なくなると思います。本当に、今日はありがとうございました」
Hさんは、翌日の受診で入院となった。そこでは担当のケアマネジャーに、何度も何度もケーキセットの話を嬉しそうに語ったと聞く。
今回のプロジェクトが、Hさんの最後のお出掛けになったかもしれないと思えば胸が熱くなる。一個のケーキがたくさんの人の思いを叶えることが出来た。

もどる