55期 夢叶えプロジェクト

皆様の力を借りながら、利用者・入居者の人生最後の思いのために力を貸していただきたいと思います。

囲碁・将棋親睦会

Iさんは、右半身麻痺の為独歩は出来ず、伝い歩き・手引き歩行、または車イスでの移動をされてます。
昭和十二年十一月二十日、下関で男ばかりの三人兄弟の長男に生まれました。お父さんは国鉄で技術者として働いていましたが、お父さんが忙しい合間をぬって将棋を教えてくれる時間がとても嬉しく、いつしかIさんは将棋が大好きな少年になっていました。

そんな穏やかな日々も、第二次世界大戦が始まり、お父さんは戦争に兵隊として借り出されていき、Iさん一家は、ご本人・お母さん・弟二人と九州の大分県に疎開することとなりました。お父さんが無事に帰ってきて、また将棋が一緒にできるようにと願いながら、小学校二年生のときに終戦を迎えました。お父さんは無事に帰り、疎開先から家族そろって下関に帰ってきました。そしてIさんは中学を卒業して金属工事士として働き始めました。大きなビルや建物の建設に携わるとても危険な仕事だったそうです。その後、二十六歳の時、弟が自営している建築金物の会社などに、三十四年間勤務し一生懸命働きました。
二十七歳の時、職場で知り合った一つ年下の奥様にアタックし、結婚。一女をもうけました。生まれた女の子は、聡明で自慢の娘となりました。今でも、娘さんの自慢話をされています。

仕事をしながら、将棋・囲碁・マージャンの集まりに定期的に参加し、楽しまれていたそうですが、大会などには出たことは無いとの事です。しかし、勝っても負けても将棋をしている時がIさんの大事な自分の時間だったそうで将棋が唯一の娯楽だったのです。
平成九年に六十歳で退職し、平成九年六月に下関から今の住所である、白島に住み始めることになり、そこで下関に居た時のような、「将棋の出来る場所は無いだろうか」と捜し求めていたと言われます。
結局、広島では将棋を出来るところが見つけられず、雀荘に通いそこで時々、そこの経営者の息子さんに将棋を教えたり、麻雀のお客が気が向いたら将棋の相手をしてくれたそうです。

そんな矢先、平成十年三月十三日、脳梗塞を発症され、後遺症により右半身麻痺となりました。言葉が話しにくく、右の手足が不自由となりましたが、それでも、将棋をしたい気持ちは募るばかりでした。
そこで、近くの「広島市中央老人福祉センター」で将棋ができると噂を聞きつけ、ヘルパーさんに連れられて、覗きに行ってみたことがあるそうです。すると、自分とは到底勝負にならないような、上級者ばかりで二度ほど覗きに行って諦めてしまいました。
ほぼ同時期に奥様も倒れられ入院となり現在も入院中で、現在は独居で同じ階に住む娘さんが、ヘルパーのサービスを利用しながら、食事や洗濯等のお世話をされ月に一度、車椅子で娘さんと定期的な通院の帰りに奥様のお見舞いに行っているとの事です。
ふじを利用される前に利用されていた通所リハビリで、念願の将棋仲間を見つけましたが、その将棋仲間はすぐに来なくなってしまったそうで、リハビリより将棋が目的だったIさんは、将棋が出来ないのならリハビリに通う意味が無いと、通所リハビリに行かなくなってしまい日中は、衛生放送で将棋を見たり、将棋雑誌の定期購読をしては勉強し、その他と言えば寝ている事が多くなりました。

そんな中、平成二十二年八月五日にIさんがふじにやって来ました。その日は九十代の元気な男性の方と対局し、その後、何ヶ月かは楽しい時間を過ごされましたが、その方が入院され、もうデイには来られなくなってしまいました。
いたときだけでした。職員に将棋が分かるものが数名いるものの中々お相 デイでは将棋以外、主治医に言われたマシーントレーニングしかしない。それ以外はテレビを見るか、昼夜が逆転しているのか居眠りばかり。ゲームレクなどにお誘いするも「やらない」の一点張り、他に将棋が出来る利用者が二人いましたが、一人はIさんよりレベルが下の為、その方はあまり進んで将棋をやろうとはしてくれません。もう一人は、有段者でありIさんと将棋をやるのは気が向手する時間が作れず、将棋が出来る職員もお相手させていただきたいとは思いつつ、日々の業務に追われ、週一回の施設利用で、将棋が必ず出来ることが約束されず、将棋以外はテレビを見ることしかないIさんに後ろめたさを感じていました。

そこで、将棋の為に金曜日が追加となりました。金曜日は将棋も囲碁も好きなWさんがおられました。Wさんは快く対局を引き受けてくださり、やろうと思えば朝からずっとやってくださりました。Wさんとの対局では、Iさんが強く、Wさんはずっと負けていましたが、それでも、Wさんは快く対局してくださったのです。 しかし、始めはとても楽しそうだったIさんも、勝ってばかりも楽しくなくなってきました。

「勝ってばっかりもつまらないですね?」と聞くと、
「いや、下(自分より下のレベルの人なんて)はおらんよ。」と言いました。
「やっていること自体が楽しいんですね?」と聞くと、
「そうかもね。下がいると思った時点で負けだから。」と言われていました。

将棋が必ず出来るわけではない木曜日と将棋が必ず出来る金曜日とでは、朝迎えに行った時の表情が全然違い、木曜日はなんだか寝ぼけていますが、金曜日は目がばっちり開いて、心なしかいつもより声も元気な気がします。
Iさんの将棋への熱い気持ちを伺いながら思いました、こんなに何かに打ち込みたい、やりたい気持ちがあるのに病気になったというだけで外に出られず、その思いを諦めて暮らしていかなければならないとは、「とてももったいない」と、もし右麻痺になっていなかったら、もっと他の将棋の出来る場所を見つけて、思う存分生きている限り、新たな対局者を求めて将棋を楽しめたはずです。
そんな時、夢叶えプロジェクトがありました。他拠点と合同のプロジェクトなので、Iさんと同じような思いの方がきっと居るはずだと思いました。これがIさんの夢叶えプロジェクトまでの経緯です。

地域に友人もなく、交流もなし。性格は人に気を使われるとても優しい方です。自分から進んで話す方ではないが、話し掛ければ、よく話してくださいます。とにかく将棋が大好きな方で、とっても将棋交流会を楽しみにしています。「囲碁・将棋親睦会」を夢叶えプロジェクトで企画することをお知らせすると、いつも眠たそうな両目がキッと開いて、「いつやるんや、いつやるんや」と、とても楽しみにされこの企画が決まってからの表情は大分違っていたように思えます。
無気力でウトウトされ、将棋以外には全く興味が無かったIさんが、ゲームや歌の時間に眠そうでもなく参加されていました。少しでも空き時間があると、「将棋の本はないか」と言って来て、将棋の本をじっと見て勉強されていました。それを見た将棋相手のWさんが、「Iさん強いんじゃけえもう勉強せんでもええよぉ。」と笑って言っていました。職員もそれを微笑ましく思えました。
そして親睦会前日、Iさんは「服はなに着ていったらええんや?」と聞かれ、「明日は親睦会なので、いつもの格好でいいですよ。試合とかではなく、気楽に楽しむ会なので。」と説明しましたが、とっても気合が入っているようでした。

親睦会当日、職員がお迎えに伺った際、「おはようございます。ついにこの日が来ましたね!」と、言うと、「ついに来た、ホントにあんたの様な人はおらんよ」と少し恥ずかしそうにボソっと言って下さいました。
会場の川内のデイサービスに着くと、Iさんは目がパッチリ!
十人くらいの男性達が既に集まっていて、その輪の中に入っただけでとても嬉しそうでした。

そしていよいよ対局開始!

Iさんの最初の相手は、ネクストビューに入居されている方でした。Iさんは当日、三〜四人の方と対局しましたが、最初に対局した方との対局の時間が一番長かったように思います。熱戦の末、残念ながらIさんは初戦で負けてしまいました。でも、とても満足そうなお顔をされていました。悔しさではなく『楽しかったぁ〜。』と言う様なお顔で。
その後の対局では勝ち続け、閉会の挨拶の際にも中々やめようとはされませんでした。終始、目を大きく開けて、嬉しそうにされていました。

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