55期 夢叶えプロジェクト

皆様の力を借りながら、利用者・入居者の人生最後の思いのために力を貸していただきたいと思います。

もう一度 パンを作りたい

W様は、大正十年二月二日 広島県広島市竹屋町に生まれ、十六歳の時、大阪へ。
大阪で一・二番を争う神戸屋というパン屋さんに勤め、パンとケーキを作る四年間の日々。
とにかくパンが好きで毎日食べていた。
二十歳の時に出兵し、中国南京へ衛生兵として、兵士の療養の仕事を行ない、後に日本へ帰国し長野へ配属。
昭和二十年八月六日 広島に原爆が落ち、すぐに広島へ帰郷。
家は全壊していたが、家族の命は助かった。
昭和二十年八月十五日に戦争が終わり、兵隊解除にて軍隊生活を終える。
戦後、広島の宇品で食料工場へ就職。奥様と出会い、二十六歳のときに結婚する。
しばらく経ち、奥様のお兄さんとパン屋さんを始めたが、三,四年して廃業する。
パンが好きでパンを作ることも好きで、パン職人として働きたい思いは強く持っていたが、
永く続かず、職を転々とする。その後に奥様が開いたお店を手伝ってきた。
六十六歳の時に息子夫婦と一緒に住むために広島市西区へ引っ越す。

平成二十三年頃

物忘れが目立つようになり、転倒を繰り返すようになってきた。

平成二十四年一月

アルツハイマー病と診断を受けた。

平成二十四年二月

施設に入所。本人の希望ではなかったが、有料老人ホーム ふじの家観音に入所。
W様は、息子に言われたからしかたなく入所したと言う。
W様と介護職員の関わりの中で「パンが作りたいね」とよく言われていた。
それと同時に「今はもうできんですがね」と苦笑い。
介護職員は、W様に、「パン作りをしてもらえないか」と考えるようになった。
W様の夢
『 もう一度 パンを作りたい 』夢叶えプロジェクトが始動をする。
W様に、パンを作ってみませんかと聞くと、即答で「作ってみたい」と言われる。
更に、「捏ねるとこからやってみたい。」「もう一回焼いてみたいね?」
でも、「私にできるかね?」「もう忘れてしまいましたから・・・」
とパンが作る事ができるかもしれないという現実と向き合うと、消極的な発言がW様から出てくるように・・・。
介護職員は、外出をしてパンを作るのに、身体的には問題ないと思っていたが、W様の心配性なところが気掛りだった。
御家族からは「ぜひ連れて行ってください。お願いします」と前向きな返答。
実施日を平成二十四年七月二日に決定。
場所は安芸郡府中町にある『もりもりパン工房』

平成二十四年六月四日

W様の夢を叶えるために、介護職員は、パンを作る事が出来る場所を探す。
電話で、まずはW様の夢を伝えると、『もりもりパン工房』に快く承諾していただけた。

平成二十四年六月十五日

『もりもりパン工房』の下見に伺い、駐車場の位置やトイレ等確認を行なう。
パン作りを教えて頂く先生にも企画を説明し、「ぜひ協力させてください」と好意的な発言が頂けた。

平成二十四年七月二日 九時

パン作りに行くため、声をかける。
「今日はお願いします。ちゃんとできればいいですが」と不安そうなW様。

九時三十分 出発

『もりもりパン工房』に向かう車中でW様は、いつもより言葉数が増えている。ワクワク感が伝わってくる。
「外国のパン生地を混ぜる機械は、縦でまわっているんですが、今の日本の機械は、横に混ぜるのが多いんですよ」
「昔は四時頃に起きてパンを捏ねていたんですよ」
「神戸屋というパン屋で修行して、自分の店はフナコシパンって名前でした。」
など昔のパンを作っていた時代の話を溢れるように話される。

十時三十分

安芸郡府中町にある「もりもりパン工房」に到着。早速パン作りが始まる。
パン作り〔クリームパン〕のために、材料が目の前に用意されると、目が輝く。
「楽しみですね?」と、W様。
先生の指示がある前に粉を混ぜて捏ね始める。
体が勝手に動くようで、粉だったものがいつの間にか一つの球体になる。
先生から「経験されているから上手ですね」と絶賛され、W様は、照れながらも、うれしそうな表情に。
「だまになってませんか?」と、細かな事まで気にされる。
カスタードを作るときにも、「あまり混ぜない方がいいですか?」と先生に聞かれ、
「そうですね。混ぜすぎないほうが良いです」W様と先生のパン作りを熟知した同士の話が続く。
生地を丸める作業や、カスタードを包む作業など、随所に経験されてきた技が光る。
介護職員は、W様の表情や動きに、感動を覚えた。
クリームパンが焼けて、W様から満面の笑みがこぼれる。
食べながら、「おいしいですね?。こんなにいいのが出来て良かったです」
介護職員がW様に、「今日はどうでしたか」と聞くと、
「今日は十分満足しました。一生を思い出せました。ありがとう」と涙ぐまれる。

十四時 〇〇分

現地を出発。帰りの車中で、
「ここまでしていただけるなんて・・・これで一生終えてもいいくらいです」と涙ながらに言われる。

十四時三十分

W様は、自分で作ったパンのお土産を持って帰所し、奥様に自分で作ったパンを見せながら、嬉しそうに今日有った事を話されていた。

十七時

ご家族がふじの家観音に来所されており、パンを作った時の写真や動画をみていただく。
「こんなことを一人の為だけにしていただいて本当にありがとうございます」とご家族は泣きながら喜ばれた。
今日という日をW様は終始笑顔で過ごされた。
「もう一度 パンを作りたい」
その夢はW様の人生の一コマとなった。

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